「鳳仙花(ポンソナ)のうた」 李正子(イ・チョンジャ)
2003年3月3日 影書房発行
”1984年に発行された第一歌集『鳳仙花のうた』を再録した評論集『ふりむけば日本』にエッセイ24編他を増補(帯より)”
第一歌集『鳳仙花のうた』の序文は近藤芳美さんが書いていらっしゃいます。
李正子さんは在日二世の方、生まれも育ちも日本でありながら幼少期は朝鮮民族部落で同じ境遇の人々に囲まれて育ちますが、その後は日本人社会のなかへはいってゆくことになります。そして日本の伝統形式のひとつである短歌に出会い、自分とは何か、民族とは何か、自分自身や日本・朝鮮両方の社会へ問いかけるように歌いはじめるのです。
・民族と出会いそめしはチョーセン人とはやされし春六歳なりき
朝鮮人でありながら、読み書きができるのも流暢に話せるのも日本語、異国の地であるはずの日本で母国語をならう違和感。旅行や出稼ぎでやってきた朝鮮人からも、近所に住む日本人からも、そして一世である父母にも「あなたたちは違う」と言われ続けるということはアイデンティティの確立が大変困難な状況であると言えます。誰にもはばかる必要のないはずの国籍を理由に恋人と離別しなければならない、周囲の人々とはまた違って社会ルールのなかに組み込まれてしまう。それでも祖国ではない日本のことばで、揺れながら、歌い続けられたのでしょう。歌中の「チョンジャ・ポゴシッポ」は「正子に会いたいよ」という意味です。
・祖国にはあらざる国のことばよりもたねば唄うさまよいながら
・韓国へおいでチョンジャ・ポゴシッポ辞書引きつつ読む手紙一枚
・そむかれし離別の痛みゆるすともゆるさざるとも深く残らむ
・アリランは別れの唄よと若き師は夜学の部屋で声ひくく唄う
しかし二世には二世の葛藤があると同時に、かろやかさがあるようにも感じられます。上の世代の方から見ればそれは軽薄さのようにもうつるのかもしれませんが、どっしりと土に根ざすように植え続けられたトラジのかれんな花を彼女はそっと髪にかざったのでした。それもまた、しなやかな強さであるように思います。
・憎み合う背後に虚構の国やある知りつつ我らはてしもあらず
・白桔梗すなわちトラジ父が植えまた母が植え吾は髪に挿す
探していたのは実際の場所というよりも「自分のなかにあるはずの祖国」だったのかもしれません。雨にうられる響きを春の鼓動であると歌い、決してたどりつけぬ岸があることを知りながら夕日の美しさに目をとめる。まだここが海であったころ、国境はなかった。ただ青い海が広がっていたのだと瞼を閉じる姿、そのような柔らかな色彩感覚を持つ生き様を、私は美しいと感じました。
・夜をこめて草打つ雨のとよもすを淋しき春の鼓動とおもう
・たどりえぬ岸あり水のたゆたいて冬の夕日がきららかに射す
・胎児以前のここは海なかいずこにも国境はなく しんしん青き