2013年10月19日土曜日

花の芽プロジェクト【短歌×絵画】

花の芽プロジェクト
http://hananomeproject.blog.fc2.com/

〈日本のクリエイター、デザイナーや光るモノを持っている人を融合して、全く新しい商品を作り出す というコンセプトで2012年に運営開始。 日本人の現代文化としてのデザインを世界へ輸出したり、プロデュースしようという試みです。つぼみが集まってそれぞれが融合した時、花が咲くという意味が込められています。〉


こちらの活動に絵画と短歌で参加せていただいています。
短歌一首ごとに絵を一枚描かせていただきました。
一首一首を自分なりによみとき、イメージをふくらませながら描く。
とても刺激的で楽しいひと時です。


歌人・西巻真さんとのコラボ

歌人・岸原さやさんとのコラボ

「黒耀宮」 黒瀬珂瀾 ながらみ書房

「黒耀宮」 黒瀬珂瀾さんの第一歌集
2002年12月28日 ながらみ書房 発行

序文は春日井建さんが書いていらっしゃいます。


 装画の美麗な男性、歌集のなかに使われている言葉の華々しさ、退廃的・耽美的な美しさとエロティシズムは現代ではあまり聞かれない言葉遣いともあいまって「黒瀬珂瀾」という人を、1人の生身の男性ではなくファンタジーやキャラクターを指し、あるいはひとつの仮面を作り出しているようにも感じられます。

・鶸(ひは)のごと青年が銜(くは)へし茱萸(ぐみ)を舌にて奪ふさらに奪はむ

・ジャン・ポール・ゴルチェのやうな夕焼けに溶けゆく奴をひそかに嘉(よみ)す

・曼珠紗華を蹴るごと歩む 我が恋を蔑む者のありて初霜

 しかし、歌を読みすすめるうちに新たな自分像をつくりだしているのではなく、おそらく誰もが自分のなかに持っている未熟で自分だけは特別だと、なんの根拠もなく信じている自己像を描き出しているのではないだろうかと思いました。照れや気恥ずかしさを削ぎ落とし、自己像を他者から隠すのではなく、装飾し魅せる。自分だけでなく他者のなかの自己像にまで意識を拡大して、うなづいてやる優しさ。それは自己防衛の一つの手段でもあり、やはり美しさでもあるのではないでしょうか。

・天井ゆ紅き椿が降り来ると君が言ふならうなづいてやる

・わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を

・大衆に入りゆく覚悟にほはせて友は霜夜の麦酒をあふる

 そんな美しい自己像を肯定するロマンティシズムを持ちながら、けれど現実を見る視線はあくまでもリアリスト。それでもてのひらに孔のある人、まるで復活したキリストの幻や、現実のなかの美意識を捨てきれずにいる柔らかな心を感じます。

・てのひらに孔(あな)ある人とすれちがひ見失ひたりこの繁華街

・吾(あ)が触れし耳翼ほのかにあからめて汝(な)にデボン紀の水ぞ流るる

 自己も他者もそして現実も許容していく、許されることを待つ少年は、他者を許すことを知る青年へと羽化していったように感じました。

・音もなく二人で沈む湯船、また雨のなか運ばれゆく棺

・傾きてゆく回廊の封印(とづ)るとも咲いてはならぬ花などあらぬ


<おまけ>
 こちらははじめて黒瀬さんにお会いしたときにしていただいたサイン。
歌を朗読される黒瀬さんの姿は、短歌のなかの艶やかさをそのまま背負っているような方でした。きっと「黒耀宮」はあのころの私のように、思春期の苦しみを抱えた人々を慰めてくださると思います。

・ささやかな地球に種(たね)が落つる夜の月が背中をなぞるひとり寝

2013年10月16日水曜日

「声、あるいは音のような」 岸原さや 書肆侃侃房

「声、あるいは音のような」 岸原さや
2013年9月30日 書肆侃侃房 発行

 岸原さやさんの第一歌集「声、あるいは音のような」は2006年から2013年までにうたわれた歌がほぼ編年体で並べられ、Ⅰは2006年から2009年まで、Ⅱは2009年から2011年、そしてⅢは2011年3月11日に起きた東日本大震災以降の作品から成っている。

 岸原さんの歌にはひらがなが多いな、というのが最初の印象。それがやわらかな雰囲気とまるで小さな子どもがぽつりと呟いているような舌足らずさ、そしてゆったりとした時間の表現になっているように感じます。それから、岸原さんの歌はどれも視点が面白いなと感じました。一首目は主体が風そのものになって近すぎて水としか言えない浅瀬と、とおすぎて空としか言えない空。二首目、風をきみと呼んで擬人化しながら主体から離れて風が海につくころには自然の風としてとらえなおす。

・浅瀬から浅瀬へ渡る風の舟、うつむいて水、あおむいて空

・きみはもうとおい烈風パラソルを飛ばして海へなだれていった


街路樹にひとつひとつと数える棺や、薄闇のに「ほんとはね」と唇をひらこうとする子どものような舌足らずさがかえって甘やかな叙情をうみだしています。

・信号を待つ人ならぶ街路樹のひとつひとつに小さな棺

・薄闇に(ほんとはね)って言いかけて、ふっと(ほんとう)わからなくなる


 生きている精神と、暮らしている肉体の解離性。作者が歌うのは「わたし」の内面世界であり、暮らしている現実とが別々に歌われることが多く、少し浮遊しているような印象がありました。私はその内面世界と外界とが触れ合う瞬間を歌った歌に好きなものが多いです。

・ゆびさきに小さな痛み生きているしるしのようだ唇を寄す

三月十五日、零時過ぎ。
・あたたかいまだあたたかいから耳の奥へ声さし入れる、おかあさん


 社会の空虚さについて歌った歌も好きです。ぼろぼろと崩れはじめている国の末端にいながら「まほろば」とつぶやく空虚な絶望。現実世界での人と人とのつながりの希薄さ、まがまがしくさえ見える降る花がタイヤに踏まれていく様子はねじれた退廃的な美意識を感じます。そして共同墓地。私には、地球そのものが共同墓地であるように感じられました。

・ぼろぼろと崩れる国の末端でまほろばまほろばつぶやく真昼
 
・気付かずにすれちがうこと首都にいてぼくらは何もつくれなかった
 
・おびただしい読点として降る花をタイヤの黒がいま踏んでゆく
 
・僕たちは生きる、わらう、たべる、ねむる、へんにあかるい共同墓地で

<おまけ>
 岸原さんとはじめてお会いしたのは「さまよえる歌人の会」。代表歌がすられた名詞をいただいて、まだ自分で歌人と名乗れずにいた私は圧倒された。その後も短歌をお休みしていた私のことを気にかけてくださって、飯田橋にあるcafeでお茶に誘ってくださったりした優しい方です。

 歌集からはそれた話になりますが、出版元の書肆侃侃房の書肆は中国語で本屋、侃侃は侃侃諤諤からきているそうです。みんなでわいわい話しながら良い本が出せたら良いね、というところでしょうか。素敵な名前です。

2013年10月15日火曜日

復刻・「踏絵」 柳原白蓮 ながらみ書房

 「踏絵」 柳原白蓮
2008年10月15日 ながらみ書房発行
大正4年3月 竹柏會出版の初版本の復刻。
佐佐木信綱序文、竹久夢二装丁

※旧字体に変換出来なかったものは新字体で表記してあります。

 大正三美人の一人と謳われた柳原白蓮は14歳で結婚、15歳で男児を産みます。その後東洋英和女学校へ入学、佐佐木信綱に師事し心の花に短歌を発表しはじめます。この歌集は白蓮31歳、二度目の結婚をした4年後に編まれた第一歌集です。

 
 「恋に生きた」といわれるとおり、恋の歌がほんとうに多い歌集でした。読み終えると恋はもうしばらく良いかな…と食傷気味に。それでも恋多き女性、という印象はなく、むしろ恋に憧れ続けた女性のように感じます。時代背景や、彼女の華族という立場では女性が自由に恋をすることは許されませんでした。恋という文字が使われてはいても、白蓮が求めていたものは自己を尊重されることや、互いを想い合う愛しさ、人としての尊厳を得ることだったのかもしれません。そのこともあってか恋の歌ではない歌に目がいきますが、次の二首には強く惹かれました。忘れないと言えばなお悲しい、失っても君に出会えたという幸福がある、自由に自分の人生を生きることも叶わない少女の憧れは恋に向かうしかなかったのかもしれません。

・忘れむと君言ひまさばつらからむ忘れじといはばなほ悲しけむ

・こともなく終へむわが世の運命(さだめ)にも君を得し幸失ひし幸


 そして自由に生きられないことへの閉塞感に蝕まれていく少女は、何不自由なく生活をしている自分を血縁を比喩するような美しい赤い籠のなかの鳥と揶揄し、理由もわからぬまま整えられた黒髪を乱して夜半に泣くのです。重い枷を負いながら、それでも彼女には空をあこがれる心がありました。

・何を怨む何を悲しむ黑髪は夜半の寢ざめにさめざめと泣く

・誰か似る鳴けようたへとあやさるる緋房の籠の美しき鳥

・わが足は大地につきてはなれ得ぬその身もてなほあくがるる空


 しかし、歌集の後半から、歌は次第に洗練されながらも、暗くより閉塞感をましていきます。母の傍らに侍っていた少女は女になり、これまでの枷に加えて「女」という枷にとらわれていることに気付くのです。それが当時の女の宿命であったのか、髪を整え、紅をぬり、大人しく暮らしながらも、少女の時代を弔う。その瞳には冷たい光がやどっていたように思えてなりません。

・心憂きこと言はれても情ぞと笑みてあるべき女のすくせ

・今日もまた髪ととのへて紅つけてただおとなしう暮らしけるかな

・うもれ果てしわが半生をとぶらひぬかへらずなりし十六少女


 そして最後の三首、どれほど苦しい日常だったのでしょうか。枯木のように心は痩せほそっていくのに、人の道としてそれを耐え続けなければいけない。今日も昨日も、そして明日も、変わらずに流れていく日々。柩のように冷たく狭い日々。決して恋に生きたという華やかな歌集ではなく、むしろ一人の人として自由に生きられない当時の風潮に傷つき苦しみながら、あたたかな夢をすべて恋という形式に託すしかなかった哀しみと切なさがそこにはあるように思います。

・冷やかに枯木の如き僞りを人の道としいふべしやなほ

・鴨川やわが來し方の過ぎし日と靜かに流る今日も昨日も

・眼とづれば吾身を圍む柩とも狭く冷たき中にをりけり


<おまけ>
 柳原白蓮はこの歌集を出版した3年後、恋に落ちます。当時はまだ姦通罪の残る時代、白蓮は文字通り命懸けの駆け落ち後、新聞に「公開絶縁状」を掲載。お金はあるけれども夫とその妾と三人布団を並べて眠ることもあったような生活から抜け出し、華族からは除名され、家族から何の支えも得られなかったために白蓮自身も働かなくてはならないような生活であっても、はじめて想う人と結ばれた晩年は平穏で幸せなものであったそうです。なんだかすこし、ほっとしますね。



2013年10月13日日曜日

「窓、その他」 内山晶太 六花書林

「窓、その他」 内山晶太
2012年9月25日 六花書林発行
※読みかたは「まど、そのほか」

 なんて明るい寂しさだろう、というのが読後すぐの感想。読みながら何度か涙ぐんでしまうほど哀しく、寂しくなった。寂しさにはいくつか種類があるけれど大別すればそれは他者が介在する寂しさと、他者が介在できない寂しさだと思う。
 

 「窓、その他」を読んでいて感じたのは後者の寂しさ。天から降る雨をささやかな檻ととらえる行き場のなさ、桜の花のように美しく儚い分かり合うという幻想、誰かのためにつくる表情を海の前では外してしまおうという孤独、そこでは私とは無関係に絶え間なく砂の風葬がつづいている。清らかな白い花に反射する光の明るい空虚さや人が生きていることそのものや、私が私であること、私という人間がたった一人しかいないこと、誰にも何にも埋めようが無いけれどそれは仕方のないこと、そのような寂しさのように感じました。

・軒下にたたずみながら見上げおり雨というこのささやかな檻

・分かり合うという幻想の絶景に胸ひらきおり桜花のごとく

・えごの木のしたたるばかり花みちてみたされぬ我が眸(まみ)は明るむ

・表情を外して立てる海辺(かいへん)にすずしく砂の風葬つづく


 長く長く生きて欠けているものがないようなほほえみの皺、親しみ深いチューリップの花を忘れてしまうまでの老い。この寂しさ、悲しさは鉱物の世界のようでもあります。完成されてしまった世界には、他者がはいる余地がないのですから。

・チューリップを忘れてしまうまで老いてゆくべし全きほほえみの皺


 それでもこの世界には他者がいる。私ではないあなたがいる、そのような愛しさも感じられました。泪の膜ごしにみえる私ではないたくさんの人々、深さがあるから濁ることもできる街、雑居ビルでは清らかなミサが行われているあたたかさ。透かしてみえるような昨日と今日の連続性、しかしそこには窓を通して別々の一万枚の風景があるように思います。ひらがなの「かなしめる」に悲・愛どちらの漢字をあてるかは、どの窓から私自身を眺めるかによって変わるのかもしれませんし、悲しいことも愛しいのかもしれません。何か話しかけてくるようにひかりの差し込む窓がある、そのことに心がなごむ朝があります。

・人界に人らそよげるやさしさをうすき泪の膜ごしに見き

・濁ることのふかさといえど雑居ビル四階のミサにこころ涵すも

生誕から一万日
・かなしめる昨日もなかば透きとおり一万枚の窓、われに見ゆ

・話すように朝のひかりの降ることをカーテン越しの中空(なかぞら)に知る


 最後の一首は誰かの介在できる寂しさ、どうであろうとも人と人とがつながっていく、手をつなぎ、微笑みあうような陳腐さが恋しい。私の持っている手もまた、あたたかく誰かとかさねるためにある。その手を持っていることが、あたたかいのかもしれません。

・どうであれ陳腐を恋えりあたたかくかさねるための手がここにある

〈おまけ〉
内山さんに今度お会いできたらサインをいただきたいです。

「さよならごっこ」俵 万智 角川mini文庫

「さよならごっこ」 俵 万智
1997年6月10日 角川書店発行

角川文庫『とれたての短歌です。』『もうひとつの恋』に加筆訂正、再構成された角川mini文庫として発行されました。その名のとおり手のひらサイズのかわいらしい歌集です。

 俵さんの恋の歌はどれも言葉がまっすぐで、誰にでもわかるところが私はとても好きです。遠まわしな表現やたくみな比喩表現の恋の歌もいじらしいのですが、たとえば短歌にまったくふれたことのない人にもすぐに意味がとれて共感をさそう表現がその恋をしはじめたばかりの甘酸っぱさと、一途さを表しているようで、可愛らしく感じます。

・会いたくて会うために会うそれだけでいいのにいつもためらっている

・スケジュールうまくあわない今月はふらんすよりもとおいよ あなた

 他者からみれば順調なようでも、本人達は些細なことで一生懸命に思い悩み焦燥にかられることでしょう。きっと、どんな人の恋のはじまりの場面にもぴったり寄り添ってくれるような歌ばかりです。一方で常に他者の目を意識するような、自分をまだ客観的にみる余裕のある恋の歌が多く、愛が深まっていく様子や、愛情をたしかめあうようなおだやかな歌が少ないのがこの歌集の特徴でもあります。『とれたての短歌です。』が角川書店から発売されたのは1987年、作歌されたのはそれ以前のことですから、20代という若さのためかもしれません。

・桃色のランプシェードを拭きながら孤独のコの字一人のヒの字

・デジタルの時計を
 
 0、0、0にして
 違う恋がしたい でも君と

・心にはいくつもの部屋好きだから言えないことと言わないことと
 
・ワープロの文字美しき春の夜「酔っています」とかかれておりぬ

次の二首もそんな若さが強くでている歌です。理由もわからずさびしさばかりが風船のようにふくらむ頃、小さな子どものように思い切り自転車とおなじくらいのはやさで走りたいのにそれがためらわれるようになる頃、そのどちらにも私は覚えがあります。

・さびしくてふくらむ風船だれからも愛されたくて傷ついている

・走るなら自転車ぐらいのスピードで走りたい青い風生みながら

最後の二首はすこし上の二首の焦るようなさびしさではなく、切なさを知ったさびしさ。「~~ちゃん!」「~~くんのママ!」公園にはわたし以外の名前を呼ぶ声があふれている。季節は刻々とうつりかわってゆき、乾いた空気はしめりけをおびていく。しっとりとした花びらの質感とまじわって美しい歌だと思います。

・我の名を誰も呼ばない公園に青い夢みてブランコをこぐ

・パンヂイの薄紫にしめりゆく心吸わせている春の窓

〈おまけ〉
この歌集は私がはじめて触れた歌集。中学の授業ではじめて現代短歌にふれたのも俵さんの短歌でした。家族の誰が買ったのか、家の本棚にこの小さな歌集をみつけたときには、なんだかドキドキしたものです。この小ささゆえにいつも行方不明になるのですが、この歌集をひらくと恋の始まりの甘さを思い出してうあたたかい気持ちになります。いつまでも大切にしたい一冊です。

2013年10月10日木曜日

「やがて秋茄子へと到る」 堂園昌彦 港の人

堂園昌彦さんの第一歌集
2013年9月23日 港の人発行
 「やがて秋茄子へと到る」

手にとると柔らかな感触にうっとり。
紙が持つあたたかみが凝縮されたような手触り。
堂園さんの歌もあたたかで優しい。

・秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは

・過ぎ去ればこの悲しみも喜びもすべては冬の光、冬蜂

どの歌も感情を動かす自分とそれを客観している自分とがいて、直情的になりきれない主体の悲しさを感じました。

・ゆっくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれている春の歌

・生きていることが花火に護られて光っているような夜だった

・草原に愛を返せばどこまでも広く悲しい春雨が来る

・想念が薄野原を越えるたび瞼の中に光がけぶる

紙がやぶけていく動作、花火のはぜる音、薄野原を風がとおりすぎていく風景。動きごと再現される情景は感情そのものを理性でとらえたイメージの連なりを言葉にしているからかもしれません。

・僕たちは海に花火に驚いて手のひらですぐ楽器を作る

作中の主語についても「僕たち」という言葉がさしているのは具体的な私と○○さん、だけではなくて私と人間というもの全体を指しているように感じます。「僕たち」という言葉でひとくくりにする親密さ、行く末を共有している存在への慈しみと哀れみのような感情。自然の草花や、人、人のつくりだしたシステムに対する愛しさと諦念。傷ついたり悲しんだり怒ったり、負のものである感情さえも生きている喜びのひとつ。それを受け止めてくれるのは自然の営みだけ。
心が動くことは美しい、善きものであるというようなあたたかみを感じました。
 
・順光が喉に当たって散る日にも悲しいまでに心は動く

・出会いからずっと心に広がってきた夕焼けを言葉に還す

・冬の旅、心に猫を従えて誰も死なない埠頭を目指す
 
 10月6日 渋谷luxで行われた堂園さん主催のガルマンカフェ。堂園さんや田中さん五島さんの美味しいお料理と久しぶりに短歌にふれることができて楽しい時間を過ごすことできました。堂園さんは以前にご一緒させていただいた吟行のことも覚えていてくださってお花も喜んでくださって嬉しかったです。ありがとうございました^^
 
サインと一緒にかいてくださった一首です

・君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
 

「鳳仙花(ポンソナ)のうた」 李正子(イ・チョンジャ) 影書房

「鳳仙花(ポンソナ)のうた」 李正子(イ・チョンジャ)
2003年3月3日 影書房発行

”1984年に発行された第一歌集『鳳仙花のうた』を再録した評論集『ふりむけば日本』にエッセイ24編他を増補(帯より)”

第一歌集『鳳仙花のうた』の序文は近藤芳美さんが書いていらっしゃいます。

 李正子さんは在日二世の方、生まれも育ちも日本でありながら幼少期は朝鮮民族部落で同じ境遇の人々に囲まれて育ちますが、その後は日本人社会のなかへはいってゆくことになります。そして日本の伝統形式のひとつである短歌に出会い、自分とは何か、民族とは何か、自分自身や日本・朝鮮両方の社会へ問いかけるように歌いはじめるのです。

・民族と出会いそめしはチョーセン人とはやされし春六歳なりき


 朝鮮人でありながら、読み書きができるのも流暢に話せるのも日本語、異国の地であるはずの日本で母国語をならう違和感。旅行や出稼ぎでやってきた朝鮮人からも、近所に住む日本人からも、そして一世である父母にも「あなたたちは違う」と言われ続けるということはアイデンティティの確立が大変困難な状況であると言えます。誰にもはばかる必要のないはずの国籍を理由に恋人と離別しなければならない、周囲の人々とはまた違って社会ルールのなかに組み込まれてしまう。それでも祖国ではない日本のことばで、揺れながら、歌い続けられたのでしょう。歌中の「チョンジャ・ポゴシッポ」は「正子に会いたいよ」という意味です。

・祖国にはあらざる国のことばよりもたねば唄うさまよいながら

・韓国へおいでチョンジャ・ポゴシッポ辞書引きつつ読む手紙一枚

・そむかれし離別の痛みゆるすともゆるさざるとも深く残らむ

・アリランは別れの唄よと若き師は夜学の部屋で声ひくく唄う


しかし二世には二世の葛藤があると同時に、かろやかさがあるようにも感じられます。上の世代の方から見ればそれは軽薄さのようにもうつるのかもしれませんが、どっしりと土に根ざすように植え続けられたトラジのかれんな花を彼女はそっと髪にかざったのでした。それもまた、しなやかな強さであるように思います。

・憎み合う背後に虚構の国やある知りつつ我らはてしもあらず

・白桔梗すなわちトラジ父が植えまた母が植え吾は髪に挿す


 探していたのは実際の場所というよりも「自分のなかにあるはずの祖国」だったのかもしれません。雨にうられる響きを春の鼓動であると歌い、決してたどりつけぬ岸があることを知りながら夕日の美しさに目をとめる。まだここが海であったころ、国境はなかった。ただ青い海が広がっていたのだと瞼を閉じる姿、そのような柔らかな色彩感覚を持つ生き様を、私は美しいと感じました。

・夜をこめて草打つ雨のとよもすを淋しき春の鼓動とおもう

・たどりえぬ岸あり水のたゆたいて冬の夕日がきららかに射す

・胎児以前のここは海なかいずこにも国境はなく しんしん青き

2013年10月9日水曜日

"dream"

「dream」
KAZUHA Yano(Acrylic paint,455×530)

"紫陽花(hydrangea)"

「紫陽花」
KAZUHA Yano(Acrylic paint,365×515)

"a girl"

「a girl」
KAZUHA Yano(Acrylic paint,380×455)

"a leaf boat"


「a leaf boat」
KAZUHA Yano(2013,Acrylic paint)275×410
花の芽プロジェクトに参加
http://hananomeproject.blog.fc2.com/

"bloom"



「bloom」
KAZUHA Yano(2013,Acrylic paint)220×270
花の芽プロジェクトに参加
http://hananomeproject.blog.fc2.com/

相思相愛―うたびより―について

相思相愛ーうたびよりーについて

はじめまして矢野と申します。
当ブログは詩歌が好きで、絵を描くことも好きな私が好き勝手に自分の絵をアップしたり、詩集・歌集についての感想などを書いていくブログです。

のんびりゆっくりな更新になるかと思いますがどうぞお付き合いくださいm(_)m


profile:YanoKazuha. Kim Kuna.

1989年8月28日乙女座O型 韓国ソウル市生まれ。父は韓国人、母は日本人。
1993年3歳 12月28日に両親が離婚。母、姉と共に日本へ渡る
2002年13歳 俳句・短歌・詩をはじめてつくる
2004年15歳 日本名に改名。当時使っていたHN「和」をそのまま本名に。
2004年から短歌を詠みはじめる
2005年3月19日NHK放送80周年特集「ケータイ短歌 空を飛ぶコトバたち・・・」に少し出る。
2011年8月28日 日本国籍を選択(韓国籍もおそらく保有)

2013年10月 この5,6年ほど作歌をお休みしていましたが、以前は白の会、さまよえる歌人の会の皆様にお世話になりました。少しずつ生活のペースに余裕ができてきたのでまた作歌をはじめることにいたしました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。