2013年10月10日木曜日

「やがて秋茄子へと到る」 堂園昌彦 港の人

堂園昌彦さんの第一歌集
2013年9月23日 港の人発行
 「やがて秋茄子へと到る」

手にとると柔らかな感触にうっとり。
紙が持つあたたかみが凝縮されたような手触り。
堂園さんの歌もあたたかで優しい。

・秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは

・過ぎ去ればこの悲しみも喜びもすべては冬の光、冬蜂

どの歌も感情を動かす自分とそれを客観している自分とがいて、直情的になりきれない主体の悲しさを感じました。

・ゆっくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれている春の歌

・生きていることが花火に護られて光っているような夜だった

・草原に愛を返せばどこまでも広く悲しい春雨が来る

・想念が薄野原を越えるたび瞼の中に光がけぶる

紙がやぶけていく動作、花火のはぜる音、薄野原を風がとおりすぎていく風景。動きごと再現される情景は感情そのものを理性でとらえたイメージの連なりを言葉にしているからかもしれません。

・僕たちは海に花火に驚いて手のひらですぐ楽器を作る

作中の主語についても「僕たち」という言葉がさしているのは具体的な私と○○さん、だけではなくて私と人間というもの全体を指しているように感じます。「僕たち」という言葉でひとくくりにする親密さ、行く末を共有している存在への慈しみと哀れみのような感情。自然の草花や、人、人のつくりだしたシステムに対する愛しさと諦念。傷ついたり悲しんだり怒ったり、負のものである感情さえも生きている喜びのひとつ。それを受け止めてくれるのは自然の営みだけ。
心が動くことは美しい、善きものであるというようなあたたかみを感じました。
 
・順光が喉に当たって散る日にも悲しいまでに心は動く

・出会いからずっと心に広がってきた夕焼けを言葉に還す

・冬の旅、心に猫を従えて誰も死なない埠頭を目指す
 
 10月6日 渋谷luxで行われた堂園さん主催のガルマンカフェ。堂園さんや田中さん五島さんの美味しいお料理と久しぶりに短歌にふれることができて楽しい時間を過ごすことできました。堂園さんは以前にご一緒させていただいた吟行のことも覚えていてくださってお花も喜んでくださって嬉しかったです。ありがとうございました^^
 
サインと一緒にかいてくださった一首です

・君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
 

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